コヘレト8章11~17節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

コヘレト8:11 悪事に対する条令が速やかに実施されないので人は大胆に悪事をはたらく。
8:12 罪を犯し百度も悪事をはたらいている者がなお、長生きしている。にもかかわらず、わたしには分かっている。神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になり
8:13 悪人は神を畏れないから、長生きできず影のようなもので、決して幸福にはなれない。
8:14 この地上には空しいことが起こる。善人でありながら悪人の業の報いを受ける者があり悪人でありながら善人の業の報いを受ける者がある。これまた空しいと、わたしは言う。
8:15 それゆえ、わたしは快楽をたたえる。太陽の下、人間にとって飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。それは、太陽の下、神が彼に与える人生の日々の労苦に添えられたものなのだ。
8:16 わたしは知恵を深めてこの地上に起こることを見極めようと心を尽くし、昼も夜も眠らずに努め、
8:17 神のすべての業を観察した。まことに、太陽の下に起こるすべてのことを悟ることは、人間にはできない。人間がどんなに労苦し追求しても、悟ることはできず、賢者がそれを知ったと言おうとも、彼も悟ってはいない。

連日の政治の世界のニュースには、いささかうんざりさせられるものがある。
誰の目にも納得のいかない報道ばかりで、悪を疑われても仕方がないのが現実であろう。
仮に、もし報道されているような事が実際に行われていたとするなら、当事者は、不正が明るみに出て裁かれることを恐れているにちがいない。
仮に、報道されているような事実がなかったにしても、このような事態になっている事に対する良心の呵責はどこかにあるはずである。もしそれがほんの少しもないのだとしたら、既にその人は滅んでいるも同然である。
そのような人生の何が幸福であると言えるのだろう。
将来に備えて蓄えをすることが悪いのではない。
公正に生きる事以上に幸いなことはないのではないだろうか。
いずれにしろ、全能の神の御前に、全ての人は申し開きをしなければならないときが来る。
その日に備えて、平安でいられるために、私は主イエス・キリストを信じる。