2テモテ3:1 しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。
3:2 そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。
3:3 また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、
3:4 人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、
3:5 信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。
3:6 彼らの中には、他人の家に入り込み、愚かな女どもをたぶらかしている者がいるのです。彼女たちは罪に満ち、さまざまの情欲に駆り立てられており、
3:7 いつも学んでいながら、決して真理の認識に達することができません。
3:8 ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、彼らも真理に逆らっています。彼らは精神の腐った人間で、信仰の失格者です。
3:9 しかし、これ以上はびこらないでしょう。彼らの無知がすべての人々にあらわになるからです。ヤンネとヤンブレの場合もそうでした。
このデボーション日記を書き始めて、もうまもなくで5周年を迎える。
最初の記事を読み返してみたけれども、日記の類が三日と続いたことのなかった人間が、よくここまで書けたものだと思う。
書き始めたきっかけは、ある方の献身の志に応援の意味も込めて、自分でもできる何かを始めてみようという程度のものだった。
しかし、その後、その方は、まるで今朝の御言葉に記されている通りの内容に沿うかのように堕ちていった。残念だけれども、事実である。
同じ信仰を頂いたはずなのに、神様のために生きて行こうと決心したはずなのに…。
私自身もその方の言動にかなり振り回された。
今は当時のことを思い返したくも無い。
でも、そのおかげだろうか、こうして私のほうは御言葉のデボーションが続けられているのかもしれない。
感謝すべきか、それとも、続いて祈るべきか。
唯一つわかっている事は、当時と変わらず「終わりの困難な時」が続いているのは確かなことのようである。
人々の心から愛が失われ、中には、一見信仰しているように見えて、神の御心に背いて歩もうとしている者もいる。
そのような時代にあって、どのように立ち振る舞うべきか、いつでも「困難な時」である。
しかし、主の救いの約束は変わらない。
そのことをしっかりと心に留め、それに見合った人生を送るものでありたい、と切実に願うものである。