ガラテヤ4章8~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ガラテヤ4:8 ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。
4:9 しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。
4:10 あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。
4:11 あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。
4:12 わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします。あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。
4:13 知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。
4:14 そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。
4:15 あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。
4:16 すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか。
4:17 あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。
4:18 わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。
4:19 わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。
4:20 できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。

パウロは、いったん神様のことを知ったにも関わらず、まるで神様を知らなかった頃の生きかたに戻ろうとする人たちにガラテヤの人たちに、叱責の言葉を語っています。
ここでのパウロの表現は、とても興味深いもので、「神を知ったというよりは神に知られている」とか、「自分の目をえぐりだしてでもパウロに与えようと思った」そして、そのような生きかたを「あなたがたが味わっていた幸福」と表しているのです。
これらのパウロの言葉を見る限り、神を信じ、神の一人子なるキリストの命を投げ出すほどに私たちを愛しえ下さった主なる神のように、欲する愛ではなく、与える愛に生きることが本当の幸福であると言う事が明確に言い表されているといえるでしょう。

今の時代、何もかも有り余るほどにモノを所有していれば、それがまるで幸福であるかのように誰もが思っているのではないでしょうか。
イエス・キリストが、一体どいのような仕方で私たちを愛してくださったのか、今一度、聖書の御言葉に耳を傾けながら、他者を祝福し、他者に仕える幸いな生き方に歩みだしていけるよう務めたいものです。