ガラテヤ3章21~29節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ガラテヤ3:21 それでは、律法は神の約束に反するものなのでしょうか。決してそうではない。万一、人を生かすことができる律法が与えられたとするなら、確かに人は律法によって義とされたでしょう。
3:22 しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。
3:23 信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。
3:24 こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。
3:25 しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。
3:26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

律法は、私たちをキリストに導くために必要な「養育係」であると語られています。
それは、無くてはならないものではあるものの、ひとたびキリストのもとに結び合わせられたなら、今までとは違った形で影響するものになると言えるでしょう。
キリストのものとされたんら、アブラハムの子孫であると言われている通り、キリストに結び合わせられた事で、律法の戒めをも全て全うした者とみなされるのです。
もちろん、私たち自身の手で律法を全うしたわけではありません。
しかし、キリストが全ての律法を全うし、そのキリストと結ばれているからこそ、律法の全てを全うしたアブラハムの子孫の身分に与らせていただいているということなのです。
そして、今や、私たちもアブラハムの子孫であり、神の子たる身分を頂いたもの。
違った意味で、律法の言葉に耳を傾け、神の子にふさわしい歩みを続けさせていただきたいものです。