ガラテヤ2章15~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ガラテヤ3:15 兄弟たち、分かりやすく説明しましょう。人の作った遺言でさえ、法律的に有効となったら、だれも無効にしたり、それに追加したりはできません。
3:16 ところで、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して「子孫たちとに」とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この「子孫」とは、キリストのことです。
3:17 わたしが言いたいのは、こうです。神によってあらかじめ有効なものと定められた契約を、それから四百三十年後にできた律法が無効にして、その約束を反故にすることはないということです。
3:18 相続が律法に由来するものなら、もはや、それは約束に由来するものではありません。しかし神は、約束によってアブラハムにその恵みをお与えになったのです。
3:19 では、律法とはいったい何か。律法は、約束を与えられたあの子孫が来られるときまで、違犯を明らかにするために付け加えられたもので、天使たちを通し、仲介者の手を経て制定されたものです。
3:20 仲介者というものは、一人で事を行う場合には要りません。約束の場合、神はひとりで事を運ばれたのです。

ここには、主なる神様が律法の言葉を与えられた意図が明確に語られており、イエス・キリストが来られるまで、約束に対する違反を示すために付け加えられたものであるとされている。
つまり、それは、イエス・キリストが来られるまでの準備ともとれる。
罪が赦されるための心の備え、それは、バプテスマのヨハネも説いていた事柄であり、イエス・キリストによる救いにあずかるために必要で不可欠なことなのである。
そして、その違反が示され、罪の自覚と悔い改めを迫られた者だけに、キリストの救いの恵みの意味を悟ることができる。
だから、律法の言葉も必要なのだ。私が罪人である限り。