エレミヤ14:17 あなたは彼らにこの言葉を語りなさい。「わたしの目は夜も昼も涙を流しとどまることがない。娘なるわが民は破滅しその傷はあまりにも重い。
14:18 野に出て見れば、見よ、剣に刺された者。町に入って見れば、見よ、飢えに苦しむ者。預言者も祭司も見知らぬ地にさまよって行く。」
14:19 あなたはユダを退けられたのか。シオンをいとわれるのか。なぜ、我々を打ち、いやしてはくださらないのか。平和を望んでも、幸いはなくいやしのときを望んでも、見よ、恐怖のみ。
14:20 主よ、我々は自分たちの背きと先祖の罪を知っています。あなたに対して、我々は過ちを犯しました。
14:21 我々を見捨てないでください。あなたの栄光の座を軽んじないでください。御名にふさわしく、我々と結んだ契約を心に留めそれを破らないでください。
14:22 国々の空しい神々の中に雨を降らしうるものがあるでしょうか。天が雨を与えるでしょうか。我々の神、主よ。それをなしうるのはあなただけではありませんか。我々はあなたを待ち望みます。あなたこそ、すべてを成し遂げる方です。
昨日、バイブルキャンプのスタッフが「雨が降ると機嫌が悪い」と言っていた。
外作業が思うようにできないからだそうだ。
でも、天気が良いとか悪いとか言って文句を言うのは、神様に対して言うようなものでは?と尋ねたら、「まあそうですけど…」との返事。
聖書の時代の人々は、作物が豊かな実りをもたらすために、偶像の神々に雨が降ることを祈り、礼拝し、捧げ物をささげていた。
外作業ができないからと言って晴れを求めるのも、根っこの部分は同じことなのかもしれない。
人間の都合。
神様は、私たちに命を与え、命を養うために、雨を降らせ、晴れ間を与え、また雨を降らせる。
長雨が続くと、体も心もうっとおしく感じられるものだが、恵みの雨ということも覚えつつ、雨の日には体を休め、主の御言葉に聞き入る時も持ちたいものである。