エレミヤ10章17~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ10:17 包囲されて座っている女よ地からお前の荷物を集めよ。
10:18 主はこう言われる。見よ、今度こそわたしはこの地の住民を投げ出す。わたしは彼らを苦しめる彼らが思い知るように。
10:19 ああ、災いだ。わたしは傷を負いわたしの打ち傷は痛む。しかし、わたしは思った。「これはわたしの病わたしはこれに耐えよう。」
10:20 わたしの天幕は略奪に遭い天幕の綱はことごとく断ち切られ息子らはわたしのもとから連れ去られてひとりもいなくなった。わたしの天幕を張ってくれる者もその幕を広げてくれる者もいない。
10:21 群れを養う者は愚かになり主を尋ね求めることをしない。それゆえ、彼らはよく見守ることをせず群れはことごとく散らされる。
10:22 声がする。見よ、知らせが来る。北の国から大いなる地響きが聞こえる。それはユダの町々を荒廃させ山犬の住みかとする。
10:23 主よ、わたしは知っています。人はその道を定めえず歩みながら、足取りを確かめることもできません。
10:24 主よ、わたしを懲らしめてくださいしかし、正しい裁きによって。怒りによらずわたしが無に帰することのないように。
10:25 あなたの憤りを注いでくださいあなたを知らない諸国民の上に。あなたの御名を呼ぶことのない諸民族の上に。彼らはヤコブを食い物にし彼を食い尽くしその住みかを荒廃させました。

群れが散らされる時、それは、集められる時と違って、あっという間である。
人が集まるように願い、どんなに苦労を重ねて集めても、散らされる時は、あっという間である。

しかし、それも主なる神様のなさる御業であるなら、甘んじて従うより仕方ない。
なぜなら、それは、怒りによるのではなく、正しい裁きによるものなのだから。

人が集められるときも大切だが、散らされる時、それをどう受け止め、散らされたことにも主の意図があるということを汲み取ることができたとき、きっとそこにも主は共にいてくださるのだろう。

群れから離れ、一人になったとき、静まって祈り、主と共に歩めますように。