アモス8:1 主なる神はこのようにわたしに示された。見よ、一籠の夏の果物(カイツ)があった。主は言われた。
8:2 「アモスよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「一籠の夏の果物です。」主はわたしに言われた。「わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。もはや、見過ごしにすることはできない。
8:3 その日には、必ず宮殿の歌い女は泣きわめくと主なる神は言われる。しかばねはおびただしく至るところに投げ捨てられる。声を出すな。」
主なる神様は、イスラエルに対する裁きのときがついにやってきたことをアモスに告げられる。
その際、一籠の夏の果物(カイツ)を見せられ、それゆえに最後(ケイツ)がやってくるとおおせられている。
このような類似した言葉を用いた表現は、聖書の中の至るところに見られるものであるが、特に、神様からの預言の言葉を幻で示されるときに見られることが多い。
幻であるから、はっきりとしたものではなく、ややぼんやりと示されているのであろう。
あるいは、言葉の小さな発音の違い、母音の変化など、紙一重の中に語られるものなのかもしれない。
果物ならば、それは恵みである。
しかし、それが最後なら、厳しい言葉になる。
神の恵みと裁きは、紙一重なのかもしれない。
恵みを取るか、裁きを取るか、御言葉をきくがわの態度いかんで変わってくるのかしれない。
ならば、私は恵みを選 ぼう。
紙一重の違いを見分けながら。