出エジプト24章3~11節、1コリント10章16~21節、マルコ14章12~26節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

1コリント10:16 わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。
10:17 パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。
10:18 肉によるイスラエルの人々のことを考えてみなさい。供え物を食べる人は、それが供えてあった祭壇とかかわる者になるのではありませんか。
10:19 わたしは何を言おうとしているのか。偶像に供えられた肉が何か意味を持つということでしょうか。それとも、偶像が何か意味を持つということでしょうか。
10:20 いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。
10:21 主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方に着くことはできません。

今朝は、蒜山BCのスタッフと共に、十字架の丘で、聖木曜日の礼拝を行う予定にしている。
聖餐式も行うつもりだ。
小さなスタッフだけの礼拝は、仕事の合間に時々持っているが、聖餐にあずかるのは初めてかもしれない。

今まで、教会で働いていたときも、聖日礼拝以外で聖餐式を行うことはあまりなかったが、もう少し柔軟に、「いつでも」「どこにでも」主がおられるところで、主のなさった十字架の御業を証するために、聖餐式を行うことは良いことなのかもしれない。

1コリント11:24 感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
11:25 また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
11:26 だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

聖餐にあずかるのに、ふさわしい者であるか、ふさわしい時であるか、ふさわしい場所であるか、もちろん、それも大切なことだが、この出来事を通して、主の救いの業を告げ知らせるという意図があることを忘れてはならない。
主は、私たちの救いのために十字架で死なれたのである。
そして、それは、未だ主イエス様を知らない人たちに救いを告げ知らせ、彼らもまた、ひとつの体として、救いの恵みにあずかるためなのである。