ローマ5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
5:10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
5:11 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
主なる神様が、御自分の御子イエス・キリストの尊い命の代価を支払って贖ってくださったのは、実に、神に敵対していたような罪深い者たちである。
神の御子キリストの尊い命には比べようもないほどに無価値なもにに過ぎない。
しかし、神は、御自分の憐れみの故に私たちを救って下さった。
そのことは、勘違いしてはならない。
もともと私たちの存在は、むなしいものであったということ。
ある人が「私たちの命は、神が愛された尊いものだ」と言う時、そこに「キリストの贖いのゆえに尊いものとされた」という視点がなければ、その言葉もまたむなしいものとなる。
キリストの十字架の死という、値高い、もったいないほどの高価な恵みの故に贖いとられた幸いを常に覚えていたいものである。