マルコ11:15 それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。
11:16 また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。
11:17 そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」
11:18 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。
11:19 夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。
イエス様は、神殿で物の売り買いや両替を営んでいた人たちを追い払い、「私の家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである」との御言葉を引用された。
教会が、商売を目的としての活動を主とせず、あくまで、伝道目的の「祈り」の場所であることの大切さを思わされる。
しかし、だからと言ってイエス様は、すべての商売、すなわち、物を売ったり買ったりすることを禁じていらっしゃるのではない。
祈りのために聖別された時、場所、機会、そのことをわきまえておくことが大切なのだろう。
それと、イエス様は「強盗の巣」という表現をなさっている。
商売と強盗とでは、ずいぶんその趣旨が異なる。
商売には、正当なものもある。
商売がなければ、人が生きていくことはできない面もある。
しかし強盗は違う。あってはならないこと。不当な働きである。
だから、正当な働きを進めること、それが一番大切であると思う。
祈りの時は祈りに集中し、商売の時は、人に尽くすために商売の働きができるように務めたいものだ。