1コリント5:1 現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。
5:2 それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。
5:3 わたしは体では離れていても霊ではそこにいて、現に居合わせた者のように、そんなことをした者を既に裁いてしまっています。
5:4 つまり、わたしたちの主イエスの名により、わたしたちの主イエスの力をもって、あなたがたとわたしの霊が集まり、
5:5 このような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それは主の日に彼の霊が救われるためです。
5:6 あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。
5:7 いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。
5:8 だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。
教会とは、主イエス様の尊い贖いによって聖なる者(神のもの)とされた者たちの群である。
だから、それは「聖」でなければならない。
聖なる生活ができるかどうかではなく、すでにそうされているのである。
しかし、残念ながら、中にはそうではない者もいる。
そのような人は、イエス様の犠牲の意味を本当の意味で知らないから、聖なる生活を送ることができないのだろう。
どれほどの大きな犠牲を支払って救っていただいたかということを知っている者ならば、その贖い主であるイエス様を悲しませるようなことはできないはずだからである。
パウロは古いパン種を取り除けと命じている。
いつまでもこの世的な享楽に浸り続けていないで、目を覚まして、聖なる生活を歩み始めようではないか。