1コリント4:14 こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。
4:15 キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。
4:16 そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。
4:17 テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。
4:18 わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。
4:19 しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。
4:20 神の国は言葉ではなく力にあるのですから。
4:21 あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。
パウロがコリントの教会のクリスチャンたちに対し、あえて厳しい言葉を用いて諭しているのは、まるで親子のように愛しているが故であることを記している。
親だからこそ、子どもの本当の幸せを願うものだし、子どもだからこそ、親に対して無条件に尊敬の念を持って従うことができるからである。
親子の関係だからこそ、真実の愛を持って諭し、教え、導くことができる。
そして、私たちは、主イエス様の尊い贖いの故に、神の子どもとされている。
本当の親子の関係のなかで、愛し、愛され、導いて下さることを常に覚えておきたいものである。