士師記10:6 イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行い、バアルやアシュトレト、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。彼らは主を捨て、主に仕えなかった。
10:7 主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡された。
10:8 敵は、その年から十八年間、イスラエルの人々、ヨルダンの向こう側ギレアドにあるアモリ人の地にいるすべてのイスラエルの人々を打ち砕き、打ちのめした。
10:9 アンモン人はヨルダンを渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムの家にも攻撃を仕掛けて来たので、イスラエルは苦境に立たされた。
10:10 イスラエルの人々は、主に助けを求めて叫んだ。「わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしたちの神を捨て、バアルに仕えました。」
10:11 主は、イスラエルの人々に言われた。「エジプト人、アモリ人、アンモン人、ペリシテ人、
10:12 シドン人、アマレク、マオンがあなたたちを圧迫し、あなたたちがわたしに助けを求めて叫んだとき、わたしは彼らの手からあなたたちを救ったではないか。
10:13 しかし、あなたたちはわたしを捨て、他の神々に仕えた。それゆえ、わたしはもうあなたたちを救わない。
10:14 あなたたちの選んだ神々のもとに行って、助けを求めて叫ぶがよい。苦境に立たされたときには、その神々が救ってくれよう。」
10:15 イスラエルの人々は主に言った。「わたしたちは罪を犯しました。わたしたちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください。ただ、今日わたしたちを救い出してください。」
10:16 彼らが異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕えるようになったので、主はイスラエルの苦しみが耐えられなくなった。
ある人が、自分の罪を告白した時、一度刺激を味わってしまうと、さらなる刺激を求めて、また新たに同じような罪を犯してしまうと言っていた事があります。
そしてその人は、その通り、何度も何度も同じ過ちを繰り返しているのです。
イスラエルの民が、異邦人の神々を礼拝するようになると、それがやがて彼らにとって刺激や興奮を与えるものとなり、次第に様々な神々を追い求めるようになっていったのかもしれません。
刺激や興奮を求めることも罪でしょうが、それよりも恐ろしいのは、何度も何度も同じ事を繰り返しているうちに、次第にその感覚が麻痺していくことであり、ますます強い刺激を求めていくようになっていくのです。
マタイ12:43 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。
12:44 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。
12:45 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」
神様を求めることは、刺激や興奮とは全く異なるものであり、むしろ、冷静であり、慰めと平安に満ちたものであることを覚えたいものです。
1テサロニケ5:21 すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。
5:22 あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。
5:23 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。