士師記8:13 こうしてヨアシュの子ギデオンは、ヘレスの坂を通って戦いから帰って来た。
8:14 彼はスコトの人々の中から一人の青年を捕らえて尋問し、スコトの指導者と、長老七十七人の名を書かせた。
8:15 ギデオンはスコトの人々のところに行って、こう言った。「あなたたちは、かつてわたしを嘲笑い、『わたしたちがあなたの疲れきった兵士たちにパンを与えなければならないと言うからには、ゼバとツァルムナの手首を既に捕らえているのか』と言ったが、見るがよい、これがそのゼバとツァルムナだ。」
8:16 ギデオンは町の長老たちを捕らえ、荒れ野の茨ととげをもってスコトの人々に思い知らせた。
8:17 またペヌエルの塔を倒し、町の人々を殺した。
8:18 ギデオンは、ゼバとツァルムナに言った。「お前たちが、タボルで殺したのはどんな人々だったか。」彼らは、「あなたによく似ておられました。皆、王子のような風貎でした」と答えた。
8:19 ギデオンは、「それはわたしの兄弟、わたしの母の息子たちだ。主は生きておられる。もしお前たちが彼らを生かしておいてくれたなら、お前たちを殺さないのに」と言い、
8:20 長子イエテルに向かって、「さあ、彼らを殺せ」と命じた。だが、若者は恐れて剣を抜かなかった。まだ若かったからである。
8:21 すると、ゼバとツァルムナが、「さあ、勇気のある男だったら、あなたが自分でわたしたちを討つがよい」と言ったので、ギデオンは自ら立ってゼバとツァルムナを殺し、彼らのらくだの首にかけてあった三日月形の飾りを取った。
ギデオンは意地っ張りなのだろうか。
そうかもしれないが、それだけではない。
ギデオンは、イスラエルを裁く士師として召された、れっきとしたリーダーであることに違いない。
時にリーダーは、重い責任を果たさなければならない。
その時に問われるのは、果たして自分がその務めに召されているかどうかということである。
召しでないことならば、無理にその務めを果たす必要はない。
しかし、それが神の召しならば、それから逃れることは出来ないし、務め果たさなければならない。
それが召しというものであろう。
意地をはるのではなく、召しに従って務めをまっとうしていくことができますように。