ヨハネ11章17~27節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨハネ11:17 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。
11:18 ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。
11:19 マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。
11:20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。
11:21 マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」
11:23 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、
11:24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。
11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
11:27 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

マリアに比べ、やや行動派のマルタは、常に落ち着きがなく心配性の人ように描かれています。
もちろん、彼女もイエス様のことは信じていたのですが、やはり、どこか不安があったのでしょう。
私たちも、イエス様のことを知り、イエス様を信じて生きてはいても、心の中にどこか不安を感じている者なのかもしれません。
特に、私もどちらかと言うと、落ち着きのないタイプ。
常に何かをしていないといけないような気がしてしまうのです。
しかし、今していることが本当にしなければならない大切なことなのか、じっくり腰を据えて吟味することも時には必要です。

現在、私が働いている蒜山BCには、そのような心が騒いでいるときに、ゆっくりと静まるための黙想専用施設があり、黙想のためのチャペルや個室などが完備されています。
ぜひ、静まりたい方にご利用をお勧めします。
しかし、黙想において最も大切なことは、ただそこで日常を離れ、静かな時間を過ごすことだけではありません。静けさの中、イエス様との交わりに集中することなのです。

そう考えていく時、自分の思いや考えを真直ぐにイエス様にぶつけたマルタもまた、黙想の人ではなかったかと思うのです。
そして、マリヤよりももむしろマルタの方が、イエス様との対話の時間を多く持つことができたのかもしれません。
大切なことは、単に静まって日常の生活から離れるだけでなく、イエス様との対話の時間を持つこと、そこに、「生きていて私を信じる者だれも、決して死ぬことはない。」との御言葉が実現していくのでしょう。