ヨハネ7:45 さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。
7:46 下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。
7:47 すると、ファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。
7:48 議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。
7:49 だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。」
7:50 彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。
7:51 「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」
7:52 彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」
祭司長やファリサイ派の人々は、大勢の者がイエス様に心をとらわれて行く事をねたみ、イエス様に少しでも味方するような発言でもしようものなら「おまえもガリラヤ出身なのか」というように、知識も教養もない田舎者扱いをしていたのであろう。
しかし、ニコデモはれっきとしたファリサイ派の者であり、熱心に聖書を調べていたからこそ、イエス様のもとを訪ねた人である。
偏見、差別、蔑視。
これらの悪は、エリート意識から生じるものなのかもしれない。
知識を蓄えること自体が悪いとは思わないが、人々の益となるために学んでいけるようになりたいものである。