ヨブ24章1~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨブ24:18 「大水に遭えば彼はたちまち消え去る。この地で彼の嗣業は呪われそのぶどう畑に向かう者もいなくなる。
24:19 暑さと乾燥が雪解け水をも消し去るように陰府は罪人を消し去るだろう。
24:20 母の胎も彼を忘れ蛆が彼を好んで食い彼を思い出す者もなくなる不正な行いは木のように折れ砕ける。
24:21 彼は不妊の女を不幸に落としやもめに幸福を与えることはなかった。
24:22 権力者が力を振るい、成功したとしてもその人生は確かではない。
24:23 安穏に生かされているようでもその歩む道に目を注いでおられる方がある。
24:24 だから、しばらくは栄えるが、消え去る。すべて衰えてゆくものと共に倒され麦の穂のように刈り取られるのだ。」
24:25 だが、そうなってはいないのだから誰が、わたしをうそつきと呼びわたしの言葉をむなしいものと断じることができようか。

ヨブは、地上における不公平、不公正な現状を取り上げ、公正なお方、主なる神がこの現状を放っておかれるはずはないと主張する。
そして、ノアの時代の大洪水を引き合いに出し、必ずや、悪は裁きを受けるであろうと言う。
しかし、聖書には、主なる神は、二度とノアの時代のようなことはせず、大水で人類を滅ぼしてしまうようなことはしないと仰せられている。
実は、そこに神の御心を知る重要なヒントが隠されている。
神は、私たち人間を滅ぼしたいのではない。救いたいのだ。
救いたい。しかし、あまりにも罪に満ち満ちた存在である。
だから、主なる神は、御子キリストを十字架に捧げることで、人間を救おうとなさったのである。
私たち罪人のために、打たれ、この地上から消し去られるような裁きを受けられたのは、神の御子、主イエス・キリストなるお方である。

イエス様は「あんなヤツは滅んでしまえば良いのだ」と言い放つ、そんな私たちの言葉もお引き受けになり、十字架で死なれたお方。
願わくは、私の心も神の大いなる愛の御心に習うものでありたい。