ヨハネ7:1 その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。
7:2 ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。
7:3 イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。
7:4 公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」
7:5 兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。
7:6 そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。
7:7 世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。
7:8 あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」
7:9 こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。
イエス様の兄弟たちは、イエス様が御自分のことを世に知らしめようとしているものと思い、エルサレムに行って、御自分のことをもっと人々にアピールすべきではないかと継げたのですが、イエス様は「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。」と仰せられ、御自分が十字架の贖いの御業を成し遂げる時がまだ来ていないことを告げられています。
ここで注目したいのは、イエス様の時はまだ来ていないが、私たちの時は、いつでも来ているという表現をされていることです。
昨夜、ある方の講演を聞きました。
いつかやらなければと思っていることは、今すぐにやらないと、たぶんできなくなってしまう。1週間経ってもできないことは、2週間経っても、1ヶ月経ってもできない、と。
まさにその通りだと思います。
だからこそ、やらなければならないことは、今すぐにやる。
このことを心がけていくことが大切である。
そして、そのやらなければならないこととは、聖書の御言葉を読むことである、と。
聖書を読もうとするかしないかは、時間があるかないかではなく、神のもとに来ようとするか、離れようとするかであり、心の様が表れているのでしょう。
大事なことは、何を置いても真っ先に率先して行っていく、そのことを続けていくときに、私たちは大きな祝福をいただけるのです。