ヨハネ6:26 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。
6:27 朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」
6:28 そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、
6:29 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」
6:30 そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。
6:31 わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」
6:32 すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。
6:33 神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」
人は、何を求めているかによって、物事の捉えかた、考え、行動などが決まってくる。それは、イエス様に対する態度においても同じことである。
もし、私たちが、単に物質的なこと、地上の事柄、肉の欲望を求めてイエス様に祈り求めていこうとするなら、イエス様がどのようなお方か、そして、私たちに何を与えようとしているかということが全く見えなくなってしまう。
しかし、逆に、イエス様がどのようなお方であられるか、何を与えようとしておられるかということに注目し、イエス様の語られる御言葉に聞いて行く時、実に、私たちが生きていくために必要な全てのものが与えられていくものである。
パンが欲しいからイエス様についていこうとするのと、イエス様に従っていく時に命のパンが与えられるというのとでは、まさに天と地ほどの違いがある。
この順番はとても大切なことである。
順序が逆転しないように、天の祝福を見上げて歩んでいきたいものである。