ホセア9章10~17節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ホセア9:10 荒れ野でぶどうを見いだすようにわたしはイスラエルを見いだした。いちじくが初めてつけた実のようにお前たちの先祖をわたしは見た。ところが、彼らはバアル・ペオルに行った。それを愛するにつれてますます恥ずべきものに身をゆだね忌むべき者となっていった。
9:11 エフライムの栄えは鳥のように飛び去る。もう出産も、妊娠も、受胎もない。
9:12 たとえ、彼らが子供を育ててもわたしがひとり残らず奪い取る。彼らからわたしが離れ去るならなんと災いなことであろうか。
9:13 緑に囲まれたティルスのようにわたしはエフライムを見なしてきた。しかし、エフライムは自分の子供たちを餌食として差し出さねばならない。
9:14 主よ、彼らに与えてくださいあなたが与えようとされるものを。彼らに与えてください子を産めない胎と枯れた乳房を。
9:15 彼らの悪はすべてギルガルにある。まさにそこで、わたしは彼らを憎む。その悪行のゆえに、彼らをわたしの家から追い出しわたしは、もはや彼らを愛さない。高官たちは皆わたしに逆らう者だ。
9:16 エフライムは撃たれた。彼らの根は枯れ、実を結ぶことはない。たとえ子を産んでもその胎の実、愛する子をわたしは殺す。
9:17 わが神は彼らを退けられる。神に聞き従わなかったからだ。彼らは諸国にさまよう者となる。

主なる神様は、イスラエルの民を荒野で見出したぶどうのように見、はじめて実をつけた時のいちじくの実のように見ていて下さった。
しかし、その当人であるイスラエルは、主なる神を退け、バアルなどの偶像の神々をしたい求めて、悪の道、滅びの道へと進んでいったのである。
神様は、どんなに悲しまれたことであろう。
しかし、これが人間の実態である。

何故わたしの歩む道は祝福されないのかと悩む時、心静かに己の生き方を顧みる必要がある。
そこに、幾ばかりかでも神様に逆らい、己の欲望を満たすための偶像を作り上げ、慕い求めているのなら、その行く末は明るいものではない。
しかし、命の源である主なる神のもとに立ち返って歩むならば、必ず祝福される。
たとえこの世の生活が苦労に満ちていたとしても、命にいたる約束は変わることなく、私たちの行く末に約束されている。
そのことを信じて、信仰の生涯を歩みつづけていきたいものだ。