マタイ25章14~30節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ25:14 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
25:15 それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
25:16 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
25:17 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
25:18 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。

有名なタラントンのたとえである。
イエス様はここで、天の国にたとえて語られているのであるが、主人とは神、僕とは私たちのことであるということであろう。
では、タラントンとは何か。
神様から委ねられた賜物、恵み、御言葉等、あらゆる事柄を想定しているのだろう。
しかし、ここで注目しておきたいことは、主なる神様は、私たちに委ねられたタラントンを、どのように用いるべきかということまで指示しているわけではないということである。あくまで、委ねられた者が考え、ある程度自由な裁量で用いることを望んでいらっしゃるのだ。
つまり私たちは、決められた労働をするためのロボットのような働きを求められているのではなく、あくまで自由な裁量の中で、何が一番良いことであるか、考え、試し、失敗もすれば反省し、修正し、より良い用い方はないか、常に考えて行動することが求められているのではないだろうかと思う。
そう思う時、主なる神様は、私たちを最大限に期待していらっしゃるのではないだろうかと思わされるのだ。
1タラントンを預けた者に、主人は、少なくとも、銀行に預けておくなど、知恵がないなら、ないなりに、なすべきことはあったはずではないかと仰せられる。
それが生きている者の証ではないか。
私たちは、生きて、考え、私自身が活用されていくことを望んで行動していくとき、もっとも自分らしく生き生きとしていられるのかもしれない。

主が私に期待してくださる。
なんと嬉しいことだろう。
主の期待に応えていきたいものだ。