マタイ24:45 「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。
24:46 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
24:47 はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
24:48 しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、
24:49 仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
24:50 もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、
24:51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
常に緊張感を保ち続け、非常時に備えておくということは、とても大変なことである。
しかし、常に自分が何物であるかを悟り、その分に応じて生きていくことは、それほど難しいことではない。
イエス様の仰せられることは、そういうことではないだろうか。
管理を任された僕は、主人がいつ帰ってきても良いように常に緊張感を持って備えるよりも、管理を任されたものとして、自分のなすべき務めが何であるかを考え、それに忠実に生きていくならば、きっと、それが一番の備えになるであろう。
私の務めとは何であろうか。
来るべき日に備えて何を準備するかではなく、今日成すべき務めを果たしていきたいと願う。