ヨブ4章1~21節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨブ4:1 テマン人エリファズは話し始めた。
4:2 あえてひとこと言ってみよう。あなたを疲れさせるだろうが誰がものを言わずにいられようか。
4:3 あなたは多くの人を諭し力を失った手を強めてきた。
4:4 あなたの言葉は倒れる人を起こしくずおれる膝に力を与えたものだった。
4:5 だが、そのあなたの上に何事かふりかかるとあなたは弱ってしまう。それがあなたの身に及ぶと、おびえる。
4:6 神を畏れる生き方があなたの頼みではなかったのか。完全な道を歩むことがあなたの希望ではなかったのか。
4:7 考えてみなさい。罪のない人が滅ぼされ正しい人が絶たれたことがあるかどうか。

テマン人エリファズは、外見も中身もすっかり変わり果ててしまったヨブに失望し、彼を批判し始めます。
まるで、ヨブには何一つ耐えられないような苦難などなく、それに耐えることがヨブにとっての義であるかのように責めたてているのです。
しかし、このようにヨブを責める資格がエリファズにあるというのでしょうか。
そもそも人間が同じ人間に向かって、これはあなたの果たすべき苦難であるから、ぶつぶつ文句を言うななどと批判することができるのでしょうか。
仮にエリファズの上に同じような苦難がもたらされないとも限らないのです。
結局、人は他人の苦しみはわからないし、ましてや、それを責めたりすることなど、言語道断なのでしょう。
しかし、案外、自分も同じようなことをしているものだということを気付かされます。

「人が神より正しくありえようか。造り主より清くありえようか。

確かにその通り。
しかし、その「人」の中に自分が含まれていることも忘れないでいたいものです。