ヨブ1:20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。
1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
1:22 このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。
ヨブ記1章には、神を畏れ敬うヨブの信仰をめぐって、神とサタンとのやりとりがなされ、その結果、ヨブの上に災いがもたらされることになったことが記されています。
しかし、ヨブは神の言われる通り、大きな災いがもたらされても、決して神を呪うようなことはせず、むしろ、「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と言って、主の御名をほめたたえているのです。
どんな人の上にも、思いがけない災いはやってくるものです。
しかし、それが仮に神の許しのもとに行われるものであったとしても、直接災いをもたらすのは、やはり神ではなく、サタンの仕業なのです。
そのことを知っていたからこそ、ヨブは大きな災難の中にあっても、決して神を呪うようなことはしなかったのでしょう。
以前、1歳の息子を事故で死なせてしまった家族の葬儀に立ち合わせていただいた事があります。
どんな慰めの言葉も見つからないような中、幸せそうな遺影を見ていて、ふと「この子はわずか1年しか生きられなかったけど、その1年の間、あなたがたを喜ばせてくださったことでしょう。人生の長さの違いこそあれ、あなた方を幸せにしてくれたという事実は変わらないはずです。」と慰めの言葉をかけてあげると、ご両親は「そうですね。本当に幸せでした。」と言ってこの子に慰めてもらったこと、楽しませてくれたことなど、様々な思い出を感謝しているようでした。
1年という生涯が長いか短いか、仮に90歳、100歳まで生きたとして、どちらも幸いな人生。ヨブの讃美を見ていると、そのような思いにさせられます。
主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。
命を与えて下さる主の御名を感謝してほめたたえます。