ヨハネ21:22 イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」
21:23 それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。
イエス様の弟子たちの間では、常に誰が一番偉いかということが話題の中心に上ったようです。
しかし、彼らの思いとは裏腹に、イエス様は常に変わらない永遠の愛を持って彼らに接していたということを覚えます。
今の時代に生きる私たちも、つい、イエス様の時代に生きた弟子たちは恵まれた経験をしているし、我々も直接イエス様にお出会いすれば、もっと強く確信を持つことができただろうになどと考えてしまいがちです。
しかし、ヨハネに関して語られた言葉に注目してみると、仮にヨハネがどれだけの祝福を頂いたとしても、それがあなたとどう関係があるのか、あなたもイエス様との交わりに与っているならば、あなたも等しく永遠の命を得ることができるのではないか、そんなイエス様の御言葉が聞こえてくるようです。
ヨハネ自身も、このことに関し、確かに自分たちは特別な経験をしたかもしれないけれども、それは、そのイエス様との交わりを、あなたがたにも共有してもらうためであり、突き詰めて言えば、あなたも永遠の命を持つためであるという風に語っていると言えるのではないでしょうか。
1ヨハネ1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。――
1:2 この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――
1:3 わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。
私たちは、イエス様を信じ、キリストを頭とする神の体なる教会の一部分とされました。
それは、弟子たちの経験したことも、私たちの経験となるためです。
同様に、私たちが今の時代に経験していることも、弟子たちも共有しているということなのでしょう。
どちらが恵まれているか、誰が幸いか、そういう無意味な議論に明け暮れるのではなく、今、私とイエス様の関係はどうか、イエス様との交わりに感謝しているか、そのような視点で物事を見つめていくことができるよう心がけたいものです。