ルカ11:27 イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」
11:28 しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」
イエス様の母マリアは、その身に聖霊によってイエス様をみごもったとき、自分の境遇を何と幸いなことであろうかと言って神を讃美しました。
ルカ1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
マリアは、単にイエス様をみごもり、イエス様の母となったという事実を持って自分を幸いであると言っているのではありません。
45節の言葉は、エリサベツの言葉ですが、彼女が語っている通り、マリアは、神が約束し、語られた通りに実現すると信じきっているからこそ、幸いな人と呼ばれているのです。
マリアの信仰は、私たちの信仰者の一つのお手本のようなものであると言えます。
神が語られた御言葉をそのまま受け取り、信じきる。
たとえそれが、かくも愚かな罪人が全く赦されるといった、決してありえないような事であったとしても、神が語られたのならば、その通りに実現すると信じきること。
そのような者がまことに幸いな者なのです。