ルカ9:46 弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
9:47 イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、
9:48 言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」
イエス様は、弟子たちが「誰が一番偉いか」という議論をしていたことをみて、その心のうちにあるものが「誰が一番偉大であるか」すなわち「大きいか」ということを競い合っていたことを見抜き、小さな子供を受け入れる者が神を受け入れることができる者であり、最も小さな者こそ、最も偉い者であると語られている。
私たちは普通「偉大である」という事を「偉くて大きい」と考える。
しかしイエス様は「小さい者が偉い」と仰せられる。
「偉小である」
そう言えば、いつからかノートパソコンや携帯電話などの大きさを表す言い方が「厚さ何ミリ」から「薄さ何ミリ」と変わっていったという新聞の記事を読んだことがある。小ささの中に、技術の大きさが現されるからである。
軽くて小さなモバイルグッズが喜ばれるのと同じように、神の持ち運ばれる私たちも小さな者の方が喜ばれるのだろう。そこに、神の救いの真の大きさが現されるからである。