ローマ6章6~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ローマ6:6 また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。
6:7 律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。
6:8 イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は身を起こして立った。
6:9 そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」
6:10 そして、彼ら一同を見回して、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。
6:11 ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。

イエス様は、安息日に片手の萎えた人を癒したことによって、律法学者やファリサイ派の人たちの反感を買い、後に十字架にかけられて殺されることになる。
これらの出来事は、そのきっかけの一つとなった出来事であるとも言える。
しかし、イエス様は、安息日にしてはならないことを行ったのではない。
むしろ、安息日に人が神から頂くことの出来る癒しと平安を与えられたのである。
一方、律法学者やファリサイ派の人たちは、イエス様が安息日を破ったと言って、どうにかしてイエス様を殺そうとする計画を立てていくのである。
これこそ、安息日にしてはならないこと。
妬み、憎しみ、敵意、争い・・・。
どれも神の国の民として、神を礼拝する者にふさわしくない行為である。
そう思う時、ただただ主の憐れみのもとに、悔い改め、赦しを求めるばかりの者であることを思う。