ヘブル12章14~24節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヘブル12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
12:15 神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。
12:16 また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。
12:17 あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。
12:18 -19 あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。
12:20 彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです。
12:21 また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。
12:22 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、
12:23 天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、
12:24 新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。

キリストの血によって、聖なる者とせられた私たちは、その聖性に従って、聖なる生き方をすべきことが求められている。
では聖なる生活とは一体どういうものであろうか。
愛と慰めに満ちた素晴らしい生き方か、それとも、だれからも尊敬されるような立派な歩みか。
しかし、本当の意味での聖なる生き方とは、キリストと結びついた生活であり、キリストなしには生きていられないようなキリスト中心の生き方であると言えるのではないだろうか。
キリストなしには生きられない生き方、それは、キリストの十字架の贖いなしには赦しがなく、キリストの十字架の故に全てを赦された喜びに満ちた生き方。
そのような生き方を大切にしていくことが「聖なる生活」なのであろうと思う。