ヘブル11章23~31節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヘブル11:23 信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しさを見、王の命令を恐れなかったからです。
11:24 信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、
11:25 はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、
11:26 キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。
11:27 信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです。
11:28 信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないように、過越の食事をし、小羊の血を振りかけました。
11:29 信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました。
11:30 信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました。
11:31 信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました。

今日の箇所には、旧約聖書に記されている出来事がいくつか紹介されているのですが、それらすべての事柄が、神を信じる者たちの「信仰によって」成し遂げられていったという風に語られています。
しかし、ここで覚えておきたいのは、「信仰によって」ということは、彼らの力や思いによるのではないということ、すなわち、これらすべてのことは、神の導きによって成し遂げられた御業であるということを示していると言えるのです。
たとえば、私たちも祈るとき、「主の御名によって」という表現を用いて、この祈りを主イエス様に取り扱っていただく、あるいは、主が働いてくださると信じて祈ります。これと同じことで、「信仰によって」ということは、これが神のなさる御業であると信じて従ったということを物語っているのでしょう。
私たち信仰者の歩みも同じこと。
旧約の時代でも、新約の時代でも、そして今を生きる私たちと共に、主なる神様は、信じる者と共に、いえ、信じる者を用いて働いてくださるのです。
今日1日の私の務めも、「信仰によって」歩むことができますように。