コヘレト3:1 何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
3:2 生まれる時、死ぬ時植える時、植えたものを抜く時
3:3 殺す時、癒す時破壊する時、建てる時
3:4 泣く時、笑う時嘆く時、踊る時
3:5 石を放つ時、石を集める時抱擁の時、抱擁を遠ざける時
3:6 求める時、失う時保つ時、放つ時
3:7 裂く時、縫う時黙する時、語る時
3:8 愛する時、憎む時戦いの時、平和の時。
伝道者は、何事にも時があると語り、永遠には生きられない有限の世界に生きる我々人間の営みのはかなさや、それ故に一生懸命に生きようとする人間の生き様を思わされる。
しかし、その動機付けはいかなるものであろうか。
1節の個所は、二つの時を表す言葉が用いられており、新共同訳聖書で「定められた時」と訳された言葉は、口語訳聖書では「季節」という表現を用い、あえて異なる訳語を用いて、その違いを表そうとしている。
伝道3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
季節という訳が適切かどうかは別として、時と時間、時刻と時期の違いを考えさせられる。
神が定められた時の流れの中で、地上における人間の営みに応じて、ある特定の期間、人間によって区切られた時間、あるいは時期というものが、いかに身勝手なものであり、自己中心的なものであるかということを思わされる。
神は永遠に人間を愛して下さっている。
それなのに、人間は勝手気ままに、自分の都合で気まぐれに「愛する時」と「愛さない時」を決めていくのだ。
2コリント6:1 わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。
6:2 なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
神の用意された恵みの時は、いつでも開かれている。
しかも、永遠に閉ざされることのない恵みの時なのである。
そのことを覚えつつ、一刻一刻の時を無駄にすることなく大切に過ごしていきたいと思う。