コロサイ4:2 目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。
4:3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。
4:4 わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。
4:5 時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。
4:6 いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。
パウロは、コロサイの町のクリスチャンたちに、神の御言葉を語りつづけて行くことができるよう、拘束された状態から解放されるよう祈ってほしいと頼んでいる。
それは、自分自身が自由になるためだけではなく、解放されたパウロが、あらゆる罪の奴隷から解放してくださる神の救いの御言葉を持って、多くの者を真の自由へと解放するために必要なことであるという目的のためである。
つまり、パウロ自身にとっては、自分自身が拘束された状態でいること自体は、そう大きなストレスではなかったようで、むしろ、御言葉を語ることの出来ない不自由さ、救いの約束を宣べ伝えられないもどかしさの方が大きかったということなのでしょう。
フィリピ1:12 兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。
1:13 つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、
1:14 主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。
1:15 キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。
1:16 一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、
1:17 他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。
1:18 だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。
1:19 というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。
1:20 そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。
1:21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
キリストの福音の宣教に最高の喜びを見出していたパウロ。
私もそのような捉え方で福音宣教の御業に携わることが出来たら、と思う。