申命記33:1 これは神の人モーセが生涯を終えるに先立って、イスラエルの人々に与えた祝福の言葉である。
33:2 主はシナイより来り セイルから人々の上に輝き昇り パランの山から顕現される。主は千よろずの聖なる者を従えて来られる。その右の手には燃える炎がある。
33:3 あなたは民らを慈しみ すべての聖なる者をあなたの御手におかれる。彼らはあなたの足もとにひれ伏し あなたの御告げを受ける。
33:4 モーセは我らに教えを授け ヤコブの会衆の受け継ぐべきものとした。
33:5 民の長たちがイスラエルの諸族と共に集うとき 主はエシュルンの王として臨まれる。
言わば、モーセの遺言とも言える言葉。
モーセは、そのような生涯における最後の言葉を、イスラエルの民に向けての祝福の言葉で満たしている。
最後の最後の言葉なのだから、つい、自分のことを良く見せようと考えたり、あるいは、自分の愛する子孫に祝福を託そうとするのは普通のこと。
しかし彼は、一見、イスラエルの民への祝福を祈っているようで、その実、それら全てが主なる神の御業として語っている。
つまり、神への賛美なのだ。
生涯の最後を迎えるにあたり、人が何を語るか。
せめて、子孫に対する思いやりや慈しみの言葉を残したいと思うのであるが、願わくは、モーセのように神を賛美する言葉で締めくくりたいと願うものである。