申命記22章5~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記22:5 女は男の着物を身に着けてはならない。男は女の着物を着てはならない。このようなことをする者をすべて、あなたの神、主はいとわれる。
22:6 道端の木の上または地面に鳥の巣を見つけ、その中に雛か卵があって、母鳥がその雛か卵を抱いているときは、母鳥をその母鳥の産んだものと共に取ってはならない。
22:7 必ず母鳥を追い払い、母鳥が産んだものだけを取らねばならない。そうすれば、あなたは幸いを得、長く生きることができる。
22:8 家を新築するならば、屋根に欄干を付けねばならない。そうすれば、人が屋根から落ちても、あなたの家が血を流した罪に問われることはない。
22:9 ぶどう畑にそれと別の種を蒔いてはならない。あなたの蒔く種の実りも、ぶどう畑本来の収穫も共に汚れたものとならないためである。
22:10 牛とろばとを組にして耕してはならない。
22:11 毛糸と亜麻糸とを織り合わせた着物を着てはならない。
22:12 身にまとう衣服の四隅には房を付けねばならない。

この世の中には、実に様々なものがある。中には、どうしてこのようなものがあるのだろうと思わされるようなものもあるけれども、これら全て、神様が創られたものである限り、何らかの意図、目的があるのだろう。
そんなことを考えながら自然に目を向けると、実に面白いものだ。
鳥の巣のことが記されているが、神様は、この世界の全てのものを治めるよう、人間に命じられた。しかし、鳥の親が子供を育んでいるさなかに手を出すようなことは戒められている。目の前で子供(もしくは卵)を奪い去られるようなショックを与えては、二度とそこに卵を産むことはなくなるからなのかもしれない。
新しい家を建てる時、屋上に手すりをつけなさいという。当時、屋上は、ゲストを招いて接待するような社交の場であったのだろう。単なる「屋根」ではないということなのだろう。
先日、視覚障害者の夫婦が駅のホームに転落し、大怪我をする痛ましい事故があったばかりだが、そもそも鉄道とは何のためにあるのか、転落防止用の柵を設置するなど、十分に検討してもらいたいと思う。
ぶどう畑に二種類の種をまかないよう命じられている。交配のため、品質が悪くなることを警戒してのことであろう。

ダブルスタンダードという言葉がある。
日本人にわかりやすい表現に置き換えるなら、本音と建前といったところか。
私自身の生き方を振り返ってみる。二種類の生き方をしていないだろうか。私がここに遣わされている意味を見失い、本来の目的とは異なる仕方で行動してはいないだろうか。自分の都合を優先させ、新しい命が芽生えるための芽を摘み取ってしまってはいないだろうか。
神様が私を創られた目的を考えながら、今日という日を過ごしたいものである。