ルカ21章5~6節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ルカ21:5 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。
21:6 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」

イエス様が語られた、終わりの日の出来事に関する予告は、「一つの石も崩されない」とか「他の石の上に残ることのない日が来る」といった風に、やや、否定形を多用したものとなっています。
それほど、人々の思いや考えが間違っているということを示そうとしているのでしょう。
「まさか、こんな立派な神殿を壊そうとする者はいないでしょうし、ましてや、こんな大きな石を崩してまで、神殿を破壊しようと思うなんて・・・」
ところが、人間とは、それほどのことを平気で行うし、むしろ、むきになってまで、力ずくでもこのような神殿を破壊しようとする者なのです。

ここでイエス様が語られている言葉には「一つの石すら、他の石の上に残らないほど、徹底的に破壊する」といった趣旨のことが語られています。
すなわち、たった一つの石すら、粉々に砕かれてしまい、他のどの石の上にも絶対に残らないほどに取り除かれてしまうということであり、まさに「あとかたなく」破壊され尽くしてしまうということなのです。
神を礼拝する場所であるというのにです。

人間とは、それがたとえ神を敬おうとする神聖な場所であったとしても、自分達の都合に会わなければ、いとも簡単にそれらのものを排除してしまうものです。
それほど、自分達の考えのほうが重要だということなのでしょう。
あるいは、自分にとって都合のよい神様を建てあげて、それを拝んでいるだけだから、こうも簡単に排除できてしまうのかもしれません。
頭では神を敬っているつもりでも、それが、自分勝手な欲望を満たすために生み出された偽りの神である限り、それらのものは、いつか必ず破壊し尽くされてしまうのでしょう。

私たちも、気がつけば、いつのまにか自分の都合を優先し、身勝手な「偶像」を礼拝しているのかもしれません。
もしそうであるならば、一日も早く、そのような偽りの神を排除して、私のために自らを犠牲にしてくださったほどに私を愛してくださる真の神を崇め、敬うことができるように努めていきたいものです。

詩篇118:21 わたしはあなたに感謝をささげる あなたは答え、救いを与えてくださった。
118:22 家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。
118:23 これは主の御業わたしたちの目には驚くべきこと。
118:24 今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう