申命記4章15~24節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

申命記4:15 あなたたちは自らよく注意しなさい。主がホレブで火の中から語られた日、あなたたちは何の形も見なかった。
4:16 堕落して、自分のためにいかなる形の像も造ってはならない。男や女の形も、
4:17 地上のいかなる獣の形も、空を飛ぶ翼のあるいかなる鳥の形も、
4:18 地上を這ういかなる動物の形も、地下の海に住むいかなる魚の形も。
4:19 また目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑わされ、ひれ伏し仕えてはならない。それらは、あなたの神、主が天の下にいるすべての民に分け与えられたものである。
4:20 しかし主はあなたたちを選び出し、鉄の炉であるエジプトから導き出し、今日のように御自分の嗣業の民とされた。
4:21 主はあなたたちのゆえにわたしに対して怒り、わたしがヨルダン川を渡ることも、あなたの神、主からあなたに嗣業として与えられる良い土地に入ることも決してない、と誓われた。
4:22 従って、わたしはヨルダン川を渡ることなくここで死ぬ。しかし、あなたたちは渡って行って、その良い土地を得る。
4:23 あなたたちは注意して、あなたたちの神、主があなたたちと結ばれた契約を忘れず、あなたの神、主が禁じられたいかなる形の像も造らぬようにしなさい。
4:24 あなたの神、主は焼き尽くす火であり、熱情の神だからである。

形あるものは、みな、必ず滅びる。
しかし、形の無いものでも、それが物質である以上、いつかは変質し、最終的には形あるものと同様、無くなってしまう。
しかし、主なる神様はそうではない。
なぜなら、これら全てのものを創られたお方だからである。

では、人はなぜ形あるものを神としてあがめようとするのか。
それは、目に見えるものの方が真実味があって安心できるからなのだろうか。
いつかは無くなるものなのに、今、目の前に見えるものに頼ってしまうのは、弱さゆえに生じることではないかと思う。

目に見えるものは、いつかやがて、神様の手によって焼き尽くされてしまうだろう。しかし、その火も、私たちに暖を与え、汚れたものを清める働きをしてくれるものであることを思うとき、それは、感謝なことなのだと思う。


こんな寒い日は、屋外で焚き火でもしながら、神様の御業を想うのも悪くは無いかも。