申命記2:1 我々は向きを変え、主がわたしに告げられたように、葦の海の道を通って荒れ野に向かって行き、長い間セイルの山地を巡った。
2:2 主はわたしに言われた。
2:3 「あなたたちは既に久しくこの山地を巡った。北に向かって行きなさい。
2:4 あなたは民にこう命じなさい。あなたたちはこれから、セイルに住む親族エサウの子孫の領内を通る。彼らはあなたたちに恐れを抱いているから、よく気をつけなさい。
2:5 彼らに戦いを挑んではならない。彼らの土地は、足の裏で踏めるほどのものでもあなたたちには与えない。セイルの山地は既にエサウの領地として与えた。
2:6 食物は彼らから金を払って買って食べ、水も彼らから金を払って買い、飲むようにしなさい。」
2:7 あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。
イスラエルの民が、荒野での生活を続けて40年、いよいよ、その放浪の旅も終わろうとしていました。
しかし、主なる神様は、エサウの子孫に与えられた領地や、ロトの子孫に与えられた領地には占領しないよう厳しく戒め、必ず約束された土地カナンに入るまでは、そこを安住の地と考えないよう勧めているのです。
もうあと一歩のところまで来ているのに、つい、最後のところで挫折してしまう。そういうことは、私たちの日常の生活の中にもよくあること。
挫折しないで最後まで従っていけるかどうかの鍵は、最終的に、自分の考えに頼っているか、それとも、神様の御言葉に従っているかどうかにかかってくるのでしょう。自分の考えに頼るなら、挫折しても自分の責任なのだから、誰にも文句は言えないはず。なのに、なぜか、私たちは自分で決めておきながら、周りに責任を転嫁し、不平をつぶやいてしまいがち。時には、神様にまでつぶやいたりする始末。
最後まで神様の御言葉に従っているなら、最後の責任は神様が負って下さるのです。
私たちの罪の責任すらも。
十字架の主、イエス・キリストの御名があがめられますように。
そして、主の御心に従って歩めますように。