マラキ3章1~24節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マラキ3:6 まことに、主であるわたしは変わることがない。あなたたちヤコブの子らにも終わりはない。
3:7 あなたたちは先祖の時代からわたしの掟を離れ、それを守らなかった。立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると万軍の主は言われる。しかし、あなたたちは言うどのように立ち帰ればよいのか、と。
3:8 人は神を偽りうるか。あなたたちはわたしを偽っていながらどのようにあなたを偽っていますか、と言う。それは、十分の一の献げ物と献納物においてである。
3:9 あなたたちは、甚だしく呪われる。あなたたちは民全体で、わたしを偽っている。
3:10 十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。
3:11 また、わたしはあなたたちのために食い荒らすいなごを滅ぼしてあなたたちの土地の作物が荒らされず畑のぶどうが不作とならぬようにすると万軍の主は言われる。
3:12 諸国の民は皆、あなたたちを幸せな者と呼ぶ。あなたたちが喜びの国となるからだと万軍の主は言われる。

十分の一献金という考え方は、聖書的根拠のあるものです。
しかし、与えられた収入の中から、十分の一を捧げるということは、ある人にとっては、かなり大きな負担のように感じられるかもしれません。
しかし、ここには、それに対して、主なる神様が天の窓を開いて、祝福を限りなく注ぐであろうと約束されているのです。

そもそも、献金自体、神様への感謝の応答を表すものであって、ご自分の命を投げ出して私たちを救って下さったイエス様の救い、神の無限の愛に感謝して捧げるとき、十分の一という数字は、むしろ、小さな数字であるのかもしれません。
もちろん、私たちの生活が極貧であるべきということを言っているのではなく、健康的に、しかも「十分の九」をも与えてくださった神様に感謝して喜んで生きることが大切なのだろうと思います。

年の終わりにあたり、主なる神様は「主の時が必ず来ます。その時、あわてふためくことのないように、日頃から、備えをしておくように」命じられます。
そして、そのために、多くの預言者や聖書記者たちを通して、神様の御言葉が語られているのですから、御言葉に聞くことに熱心な者でありたいと思います。

新しい年も、皆様の上に、主の豊かな祝福が限りなく注がれますように。