1テモテ3:1 この言葉は真実です。「監督の職を求める人がいれば、その人は良い仕事を望んでいる。」
3:2 だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。
3:3 また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、
3:4 自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません。
3:5 自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。
3:6 監督は、信仰に入って間もない人ではいけません。それでは高慢になって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです。
3:7 更に、監督は、教会以外の人々からも良い評判を得ている人でなければなりません。そうでなければ、中傷され、悪魔の罠に陥りかねないからです。
今年の3月に、私たちの教会の総会において、若い伝道師の牧師按手式がおこなわれ、その席で、私も按手を授ける者の一人として、立ち合わせていただきました。
その際、朗読するように命じられた御言葉が、本日の箇所です。
つまり、牧師たる者、ここに記されているような者であるべきだ、ということなのでしょう。
一言で言うなら「教会のお世話をする牧師というのは、よいお父さんのような人であるべき」ということでしょうか。
家庭を大切に、子供たちからも信頼され、また、近所の方からも評判の良いお父さん。
求められている要素を私が担っているかどうかはわかりませんが、素直に「そうでありたい」と願います。
まずは「願うこと」。そこからですね。
「こうあるべき」「こうなりたい」という理想を持ち、その理想に近づくべく、努めていきたいものです。