日時:2006年11月12日
聖書箇所:出エジプト19章1節~20章17節
本日の成長のテキストは、主なる神様がモーセを通してお与えになった十戒について取り上げられています。
成長の解説によると、これは、主なる神様とイスラエルの民との契約であり、神の御言葉に従うかと問われ、それに対し、ハイ従いますとの応答を表した事に対する契約の言葉として、十戒が定められたと語られています。
このことについては、まさしくその通りだと思うのですが、この契約の仲介者として用いられたモーセに注目してみましょう。
出エジプト19章の記述を見ると、モーセは少なくとも3回、シナイ山に降りてこられた主なる神様と民との間を行き来していることが伺えます。
(19章3節、7節、8節、14節、20節、25節)そして、最後に、十戒と呼ばれる契約の言葉を頂くために再びシナイ山に登ったとするならば、合計4回、シナイ山を上り下りしていることになるのです。
私はイスラエルに行ったことがないのでわからないのですが、シナイ山の登山をされたご経験のある方に御話しを伺ったところ、結構大変な登山であるらしく、それを80歳を過ぎたモーセが、いかに神様の御命令であるからとはいえ、3往復も、4往復もしたのかと思うと、主なる神様の契約の御言葉を取り次ぐ、いわゆる祭司の務めを担うことは、本当に大変なことなのだと思います。
今の時代は、聖書を開けば、簡単に神様の御言葉を聞くことができます。
しかし、モーセがそうであったように、まず身を清め、神様の御言葉を聞くために民を整え、地境を越えてはならないことを告げるために再度、神と民との間を往復し、徹底して、神様の御言葉に従うことによって、はじめて、恵みの契約の言葉を聞くことができるという事実を思う時、御言葉の御用をする者として、その態度、準備、祈りの生活などを改めて見直してみる必要があるのではないかと思わされます。
もちろん、御言葉の御用をすることは、そう簡単ではないことはよく知っているつもりです。
しかし、だからこそ、これが本当に主なる神様の御言葉であるのか慎重に慎重を重ね、神様の語られた御言葉を、誤り無く、聞いたまま忠実に語り継いでいくことができるように、全ての面で、神に従う心をもって備えていきたいと思わされます。
少なくとも、聖書の御言葉を何度も何度も読み返し、何度も何度も祈り、そして、語られたままをお伝えできますように。