詩篇78:9 エフライムの子らは武装し 弓を射る者であったが 闘いの日に、裏切った。
78:10 彼らは神との契約を守らず その教えに従って歩むことを拒み
78:11 その御業をことごとく忘れた 彼らに示された驚くべき御業を。
78:12 エジプトの地、ツォアンの野で 神は先祖に対して不思議な御業を行い
78:13 海を開いて彼らを渡らせる間 水をせきとめておかれた。
78:14 昼は雲をもって 夜は燃え続ける火の光をもって彼らを導かれた。
78:15 荒れ野では岩を開き 深淵のように豊かな水を飲ませてくださった。
詩篇78篇には、主の民イスラエルが何度も何度も神様を裏切っては自ら苦難を招き、にもかかわらず、主なる神様が時には怒り、時には助け出し、絶えず導いて下さったことが語られています。
このような記述を見ていると、いかに人間が小さな存在であるかということを思わされ、自分の力ではどうすることも出来ない状態になって、はじめて、神様に助けを求めようとするものだということを思うのです。
本来なら、全ての時に神様を求めるべきなのでしょうが、それができないのも人間の弱さなのでしょう。
だから神様は、人が神様を求める心を養うために、仕方なく、時に災いをもたらすこともなさるのかもしれません。
そう考えると、神様は常に私たちが神様のもとに立ち返り、祝福を受けることを一番に望んでいらっしゃるお方なのだということを思います。
「祝福されたいなら、どうぞ!」というようないい加減な気持ちではなく「ぜひあなたに祝福されて欲しい!そのためなら何でもする!」と言わんばかりに。
だからこそ、御子キリストの命さえも私たちを救うためにお捧げになられたのでしょう。
出エジプト20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
「熱情」と表現されるほどの神様の深い愛を感謝します。