詩篇70:2 神よ、速やかにわたしを救い出し 主よ、わたしを助けてください。
70:3 わたしの命をねらう者が 恥を受け、嘲られ わたしを災いに遭わせようと望む者が 侮られて退き
70:4 はやし立てる者が 恥を受けて逃げ去りますように。
70:5 あなたを尋ね求める人が あなたによって喜び祝い、楽しみ 御救いを愛する人が 神をあがめよといつも歌いますように。
70:6 神よ、わたしは貧しく、身を屈めています。速やかにわたしを訪れてください。あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。主よ、遅れないでください。
この詩篇70篇は、ほぼ詩篇40篇14~18節(新改訳聖書等では13~17節)と同じ内容になっています。わずかに表現が異なっていたり、40篇では「主」が多く使用されているのに対し、70篇では「神」という言葉が用いられていたりする程度で、助けを求めて祈る内容など、ほとんど同じであるといえます。
では、何故、ほとんど同じ内容のものがこういった形で独立して存在するのでしょう。
はっきりとしたことはわかりませんが、この詩篇の表題に「記念」と記されていることや、70篇にはカットされている、40篇の前半部分などを考慮しながら考えていくと、辛かった時、神様に助けを求めた時のことを忘れないため、あるいは、いつでもその時のことを思い出し、私の信仰者としての原点がここにあったということを思い出すために、あえて、この部分だけを改めて歌っているのかもしれません。(40篇では、神様が救い出してくださった御業を褒め称える中で、過去の苦しい体験を思い出しているようなかたちで、大いなる集会において、このような祈りが紹介されていることから)
「記念」という言葉は、普通、何か良かったこと、思い出として残しておきたいような嬉しいことを記念する場合が多いと思うのですが、人生の中で最も辛かった時、真実な助けを求めて神様に祈った、その祈りを「記念」としていることに、この詩篇の持つ素晴らしさがあるのではないでしょうか。
私も、苦しかった日、辛かった時に神様に祈り助けを求めたことを、そして、そこから救い出してくださったことを、いつも片時も忘れないようにしたいものです。