主が共にいて用いてくださる | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

日時:2006年10月15日
聖書箇所:出エジプト3章、4章

ホレブの山で神様との出会いを経験したモーセは、神様の命令により、エジプトで奴隷の民となっているイスラエルの解放のために遣わされる事になります。
しかし、生来、口の重いモーセにとっては、この務めは、大変難しいことのように思われたことでしょう。
しかし、主なる神様は、「わたしはあなたとともにいる」「わたしがあなたを遣わすのだ」と仰せられ、エジプトの王と対峙する時にも、語るべき言葉、なすべきしるしも、すべて、ともにおられる主が為して下さることを告げられています。
このことは、私たちにとっても重要なことです。なぜなら、私たちの語る言葉も、証の業も、全て「主が為してくださったこと」を証するものであるからなのです。
私の行い、私の功績、ましてや、私の自慢なのではない、ただただ神の一方的な恵みの御業と、救いの約束を告げること、これが主が私たちを用いられる際にも行われることなのです。
もちろん、自分の事ばかり話しているとしたら、それを聞いている人の上に喜びや祝福はもたらされないでしょうから、結果を見れば、そこに主が働いておられるかどうかは判断できます。
私たちの語る言葉や証の業を見て、主に栄光を帰すことが出来たとき、そこに主は必ず共にいて働いて下さったということを知ることが出来るのです。

1コリント12章3節
ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。

「イエスは主です。私の救い主です。」
まず、ここから始めていきたいものです。
そこに必ず主ご自身が共にいてくださるのですから。