詩篇60篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇60:1 【指揮者によって。「ゆり」に合わせて。定め。ミクタム。ダビデの詩。教え。
60:2 ダビデがアラム・ナハライムおよびツォバのアラムと戦い、ヨアブが帰って来て塩の谷で一万二千人のエドム人を討ち取ったとき。】
60:3 神よ、あなたは我らを突き放し 怒って我らを散らされた。どうか我らを立ち帰らせてください。
60:4 あなたは大地を揺るがせ、打ち砕かれた。どうか砕かれたところを癒してください 大地は動揺しています。
60:5 あなたは御自分の民に辛苦を思い知らせ よろめき倒れるほど、辛苦の酒を飲ませられた。
60:6 あなたを畏れる人に対してそれを警告とし 真理を前にして その警告を受け入れるようにされた。
60:7 あなたの愛する人々が助け出されるように 右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください。
60:8 神は聖所から宣言された。「わたしは喜び勇んでシケムを分配しよう。スコトの野を測量しよう。
60:9 ギレアドはわたしのもの マナセもわたしのもの エフライムはわたしの頭の兜 ユダはわたしの采配
60:10 モアブはわたしのたらい。エドムにわたしの履物を投げ ペリシテにわたしの叫びを響かせよう。」
60:11 包囲された町に 誰がわたしを導いてくれるのか。エドムに、誰がわたしを先導してくれるのか。
60:12 神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは 我らと共に出陣してくださらないのか。
60:13 どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。
60:14 神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます。

この詩篇の表題には、ダビデが塩の谷でエドム人と戦って勝利した時という記述があります。
しかし、詩の内容は、勝利と言うよりも敗北といった感じで、民が辛苦をなめさせられたといった記述が為されています。
聖書中、塩の谷での戦いとなると、サムエル下8章13~14節、列王記下14章7節、歴代誌上18章12節、歴代誌下25章11節に記されていますが、このうち、列王記下14章と歴代誌下18章の記述はダビデではなく、アマツヤによるもの、とすると、サムエル下8章か、歴代誌上18章のいずれかであろうと思われるのですが、闘った相手のアラム・ナハライム及び、ツォバの名が記されているのは、歴代誌上19章での出来事であることから、塩の谷の戦いは、直前の歴代誌上18章におけるものと考えられます。
18章では、確かに、塩の谷での戦いに勝利したダビデではありましたが、その後、19章において、かつてお世話になったアモン人の王ナハシュに対して真実を尽くそうと、使節を遣わしています。しかし、ナハシュに代わってアモン人の王となったハヌンは、ダビデが遣わした使節のひげをそり、着物を切り詰めて辱め、彼らを追い返してしまったのです。
彼らの受けた屈辱、おそらく、ダビデは、このときのことを詩に書きとめたのではないでしょうか。

理不尽な辱めを受けた民に対し、ダビデは、主なる神さまからの慰めを受けるには、勝利しかないこと、いえ、ただ単に戦争に対して勝利するというのではなく、人として、人間として勝利することを求めたことでしょう。
真実に生きること、理不尽な辱めに対しても、それがもたらされたのは、自分達の責任ではなく、相手の弱さの故であること、正々堂々と生きること、それがダビデにとっての「勝利」であったのではないでしょうか。

私達も、時折、理不尽とも思えるような辱めを受けることがあります。しかし、そのほとんどが、私のうちに理由があるのではなく、ののしるものや、攻撃を加えようとする者の側に問題があるのではないかと思うのです。
ならば、私自身、何ら逃げ隠れるようなことはしていないという誇りを持って、正々堂々と生きていきたいものです。
すべてを主イエス様の尊い血潮によって贖われ、清められているのですから。