詩篇55篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

かつて、親しくしていた者たちに命を狙われることになったダビデは、その心境をこのような表現で綴っています。

詩篇55:17 わたしは神を呼ぶ。主はわたしを救ってくださる。
55:18 夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる。
55:19 闘いを挑む多くの者のただ中から わたしの魂を贖い出し、平和に守ってくださる。
55:20 神はわたしの声を聞き、彼らを低くされる。神はいにしえからいまし 変わることはない。その神を畏れることなく
55:21 彼らは自分の仲間に手を下し、契約を汚す。
55:22 口は脂肪よりも滑らかに語るが 心には闘いの思いを抱き 言葉は香油よりも優しいが、抜き身の剣に等しい。
55:23 あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる。

自分の命を狙うものが、自分の敵であるならばまだしも、かつての親友であり、同胞であるという事実は、ダビデの心は激しく苦悶していたことでしょう。
20節の箇所には、「神はわたしの声を聞き、彼らを低くされる。」と記されており、主なる神様がダビデの祈りに耳を傾けて下さり、必ず、その祈りに応答してくださるはずだという信仰が言い表されていると言えます。
しかし、ダビデは、今は敵となっているかつての友に対して、即、神の裁きがもたらされることを願っていたわけではないようです。
というのも、この20節の表現は、少々わかりにくい表現となっていますが、おおよそ「神は私の声を聞いてくださり、いにしえから存在され、彼らに対して正当な裁きをもって応じて下さる方である。なぜなら、彼ら(敵)は、変わること(悔い改め)がなく、神を畏れようともしないからである。」という内容のものと思われます。つまり、もし仮に、わずかでも彼らが悔い改めるチャンスがあるならば、そのことが起こることを期待し、そうでないならば、神の裁きがもたらされることも止むを得ないだろうといったダビデの複雑な気持ちが表現されていると言えるのです。
このような気持ちは、主なる神さまの私たち人間に対する裁きを行われるときの心境に近いものと言えるでしょう。
願わくは、誰もかつての親友に裁きを受けさせたくはないはずです。
そんな苦悶と同時に、迫りくる危機、避けられることができないのならまさに、「やむを得ず」といった心境だったことでしょう。
最後にダビデは、自分自身に言い聞かせるような形で「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。」と記しています。
仮に、敵対するものが悔い改めて、関係が元通りに改善できなかったとしても、神のなさる正しい裁きによって、最善の結果へと導いてくださるに違いない、そんな心境であったことでしょう。
そう思うとき、主イエス様の十字架の犠牲によって成し遂げられた神の裁きの事実は、なんと偉大な愛の御業であろうかと思わされます。
主が成し遂げられた裁きと贖いの故に、完全に赦され、神様との関係が改善され、最善の結果がもたらされている事実に感謝いたします。