名前に託した思い | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

日時:2006年8月20日
聖書箇所:創世記41章

ヨセフは、かつて、牢獄において、給仕役の長と料理役の長の夢を解き明かしたことがきっかけとなり、エジプトの王ファラオの夢を解き明かすことになります。
そして、ヨセフが的確に夢を解き明かすことができたため、彼は、エジプトの大臣として任命されることになります。
この出来事の後、彼にオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトと結婚し、二人の子どもが与えられます。
彼らの名前は、それぞれ、マナセ、エフライムと名づけ、それぞれ、ヨセフの激動の人生を反映したものであり、神様が与えてくださった祝福を後々の子孫たちにも覚えさせるためのものであったと言えるでしょう。

創世記41:51 ヨセフは長男をマナセ(忘れさせる)と名付けて言った。「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった。」
41:52 また、次男をエフライム(増やす)と名付けて言った。「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった。」

遠い将来、ヨセフのことを知らない世代の者たちになったときも、自分たちの部族の名前を考えたとき、先祖のヨセフに対して示してくださった恵みの故に生まれた部族であり、存在そのものが神の恵みなのだということを覚えることができるだろう、そのような願いが込められていたのかもしれません。

私も、一人の親として自分の子どもにしてあげられることは、「養育する」とか「財産を残す」といったことよりも、「思想を残す」あるいは「生き方を教える」といったことのほうが大切だろうと思うのですが、実は、それらのことすら非常に難しいことであり、子どもに名前を与える「名づける」ことしかできないのだということを思わされます。
でも、それが親としてできる最初で最後のことなのだと思います。
神が人を生かし、神が成長させてくださる。
私よりもさらに若い世代の子どもたちに、そのような信仰を受け継いでいって欲しいと願います。