ガラテヤ2章15~21節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ガラテヤ2:19 わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。
2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
2:21 わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。

人は律法の行いによってではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって義とされる。
このことは、聖書における「救い」の約束の中心的な要素であると言えます。
人間のどんな努力や業も、十字架にかけられた神の子イエス・キリストの血による贖いにはかなわないし、完全な赦しと完全な義の約束が与えられているからこそ、私たちは聖書の御言葉に信頼するのです。
そして、それは、永遠の御国における新しい命を約束するものであると同時に、この地上における人生にも影響を及ぼすものであります。
つまり、私たちの地上における「生」すらも、すでにキリストによる新しい命の支配下にあって、主とともに生きるようになることが求められているということなのです。
一見したところでは、矛盾したような地上の生の意味ですが、救いの条件として「生き方」が問われることはなくても、救われた者の結果として「生き方」が問われているということを覚えたいものです。
イエス様が、命をかけて私を愛して下さったから救われているのであり、イエス様が命をかけて救ってくださったからこそ、イエス様とともにあって、イエス様のために生きて行きたい。それが私たちの「生き方」なのです。