エレミヤ48:25 モアブの角は砕かれ 腕は折られた、と主は言われる。
48:26 主に向かって高ぶったモアブを、酔いしれたままにしておけ。モアブはへどの中に倒れて、笑いものになる。
48:27 お前はイスラエルを笑いものにしたではないか。イスラエルが盗人の仲間であったとでも言うのか、お前がイスラエルのことを口にするたびに嘲ったのは。
48:28 モアブの住民よ 町を捨てて、岩山に住みかを造れ 山峡の岩壁に巣を作る鳩のように。
48:29 我々は、モアブが傲慢に語るのを聞いた。甚だしく高ぶり、誇り 傲慢に、驕り、慢心していた。
48:30 わたし自身、モアブの横柄を知っていると主は言われる。その自慢話はでたらめ なすこともでたらめだ。
エレミヤ48章では、モアブ人への神の裁きの宣告が語られています。
これらの記述から、モアブ人の罪は、明らかに「高ぶり」であるということが伺えます。
イスラエルの侵した罪が、神への反逆であるのに対し、モアブの罪は、高ぶりであり、神をも恐れぬ民ゆえの罪と言えるでしょう。
背きの罪と高ぶりの罪との違いは、神の存在を認識しているかどうかにあると言えるでしょう。「神を知っている。しかし従おうとしない。」のは、背きの罪。「神など知らない(必要ない)。私の考えこそ正しい。」と思い上がるのが高ぶりの罪。
私たち日本人の多くも、真の神を知らず、神を恐れるどころか、神を侮り、身勝手な欲望のために用いていると言えるでしょう。
その実は、まるで自分自身が神であるかのように、傲慢に振る舞っているということなのでしょう。
神は高ぶる者を容赦なくお裁きになります。
主よ、どうかこの国の多くの人々が真の神を知り、神のもとに立ち返り、悔い改めて、主の救いに与ることができますよう、導いてください。