エレミヤ45:1 ユダの王ヨシヤの子ヨヤキムの第四年に、ネリヤの子バルクは、預言者エレミヤの口述に従ってこれらの言葉を巻物に書き記した。そのとき、エレミヤは次のように語った。
45:2 「バルクよ、イスラエルの神、主は、あなたについてこう言われる。
45:3 あなたは、かつてこう言った。『ああ、災いだ。主は、わたしの苦しみに悲しみを加えられた。わたしは疲れ果てて呻き、安らぎを得ない。』
45:4 バルクにこう言いなさい。主はこう言われる。わたしは建てたものを破壊し、植えたものを抜く。全世界をこのようにする。
45:5 あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える。」
人は災いを経験する時、必ず「神よ、どうして私だけがこのような目に遭わなければならないのでしょうか」と言って嘆くものです。
しかし、果たして本当に「私だけ」なのでしょうか。あるいは、そもそもそれは「災い」なのでしょうか。
なぜそのうように言えるのか、答えは「あなたは自分に何か大きな事を期待している」からではないでしょうか。
私だけが神様に祝福されればよい、とか、私の願う通りになれば神様は祝福してくださったと言う風に思っている以上、このような認識のズレが生じる可能性があると言えるのではないでしょうか。
確かに誰もが災いなど経験したくはないはずです。でも、神様のなさることには必ず時があり、最善へと導いてくださると信じて従っていくならば、きっと、そこには平安が訪れることと思います。
過度な期待に支配されず、神様のなさることに信頼して歩みたいものです。